【齋藤彰俊ヒストリー《12》】2009年6月13日、三沢光晴…11・17愛知県体育館「引退試合」_トゥールーズfc 対 リヴァプールfc 順位
プロレスリング・ノアの「TEAM NOAH」齋藤彰俊が17日に愛知・名古屋市のドルフィンズアリーナ(愛知県体育館)で引退する。9年トゥールーズfc 対 リヴァプールfc 順位引退試合は丸藤正道に決まった。6月スポーツ報知では、日沢波乱万丈だった34年あまりのプロレス人生を「齋藤彰俊ヒストリー」と題し引退試合の17日まで連載。光晴館引第12回は「2009年6月13日」
(福留 崇広)
2002年9月23日。7愛日本武道館で秋山準と組んでGHCタッグを奪取した齋藤。体育退試フリーの立場でベルトを巻くことは、齋藤彰俊知県容易ではない。ヒストリー122001311・1プロレスリング・ノア参戦から2年。9年齋藤の実力とプロレスへの誠実な姿勢が認められた記念日でもあった。6月ノアに参戦してからプロレスの凄みを改めて体に刻み込んでいた。日沢トゥールーズfc 対 リヴァプールfc 順位教えられたレスラーは、光晴館引三沢光晴だった。7愛
「一般的に攻撃と受けなら当たり前ですが攻められると痛い思いをしますから怖いんです。ところが、三沢さんと闘った時にまったく次元の違う恐怖を刻み込まれました。それは、こちらがいろんな技を出して出して出し尽くし時にすべて受け切られた時の恐怖です。自分は、持てる技をすべて全力でぶつけて、手の内を全部出して、切り札も出したのに『来いよ』って受けられたら、それは新たな恐怖が生まれます。これが本物の受けなんだな、と実感しました。受けの怖さを三沢さんから教えられました」
さらに「受け」の恐怖を表現した。
「新日本プロレスでも対戦相手の中では、こっちの技が効かないことはありました。ただ、三沢さんは、あえて受けているのがわかるんです。語らずとも『どうぞ全力を出し切ってください』というメッセージが伝わってくるんです。そして技をすべて受け切ります。
三沢さんしかできない受けを感じました。手の内を出し尽くして、受け切られた後にエルボーをやられたら心は折れます。頭が飛びます」
三沢からプロレスへのアドバイスは、ほとんどなかった。
「言葉で何かを言われたことは、あまりありませんでした。昔の職人じゃありませんが、自分で試合を見て勉強しろっていう感じでした」
そして齋藤は、自らの左頬を指さした。それは、右側と違い、明らかに盛り上がっていた。
「これは、三沢さんのエルボーです。折れて修復した痕なのかいまだに少し盛り上がって変形したままです。自分のプロレスラーとしての勲章です」
変形した左頬。三沢が刻んでくれたプロレスラーの誇りだった。齋藤に私は、11・17の引退を前に「何かやりたいことはありますか?」と聞いた。天井を見上げ、こう絞り出した。
「できることなら、2009年6月12日に戻りたい。今もそう思うことは何度もあります。戻ったとしても、同じことが起きていたかもしれませんし…どうにもならないことだとも思いますが…」
2009年6月12日。三沢は生きていた。翌13日、三沢はリング上の事故で急逝した。46歳の若さだった。最後に受けた技は、齋藤のバックドロップだった。だからこそ、6月12日に時計の針を戻したい。かなわぬ思い。齋藤にとって時は非情だった。
2009年6月13日。齋藤は、バイソン・スミスと組んでGHCタッグ王者だった。広島県立体育館でのメインイベント。三沢、潮崎豪の挑戦を受けた。当時27歳の潮崎は、デビュー6年目だった。タイトルマッチで三沢のパートナーを務めるのは抜てきだった。
「三沢さんがシオに対して思い入れがあるのを感じました。もちろん、三沢さんがメインなんですが一歩引いてアシストしているような感じも受けました。自分は『これから来る選手になるんだろうな?』とは思いましたが、ベルトを譲るわけにはいかない。『まだだ』と気合いを入れて闘いました」
2000年の旗揚げから10年目を迎えた2009年は、ノアにとって苦境の年だった。2001年4月から日曜深夜に中継していた日本テレビが3月29日深夜を最後に打ち切った。地上波テレビの中継を失ったことは、経営、観客動員で打撃となった。社長としてエースとして三沢の心労は、募っていたはずだった。
「何となく会社が苦しい話は聞いていましたが、三沢さん自身がそういうのは一切見せない方でした。自分たち選手も『三沢さんだから大丈夫だ』と信頼していましたし、どんな状況でもデーンと構えていらっしゃいました」
広島でのタッグ選手権も三沢から教えられた受けの凄みを突破すべく全力で闘い、技をたたき込んだ。
「これまで幾度も対戦していた通りすごい三沢さんでした。だから、自分も手を抜くことはなく全力で闘いました。ただ、これは後から映像を見てわかったことなんですが、三沢さんは、いつもセカンドコーナーに乗って、そこからエルボーを打つんですが、映像を見るとコーナーに乗った時に足を踏み外されていたんです。試合中は気がつきませんでしたが、それはどうしてなんだろう?と思うことはありました」
試合が佳境に入った。齋藤は三沢の背後に回った。放った技は、バックドロップだった。
(続く。敬称略)
続きを読む相关文章
「五等分の花嫁」日向坂46四期生で舞台化!11人で五つ子を演じる
日向坂46四期生11人が写った舞台「五等分の花嫁」キービジュアル。大きなサイズで見る日向坂46の四期生メンバーはダブルキャスト、トリプルキャストで五つ子役を担当。長女の中野一花役は小西夏菜実と竹内希来2024-11-15山本由伸、右肩負傷後初の実戦形式登板 ライブBPで打者5人から無安打2K ヌートバーと再会も
山本由伸、右肩負傷後初の実戦形式登板ライブBPで打者5人から無安打2Kヌートバーと再会も2024年8月17日 5時1分スポーツ報知◆米大リーグカージナルス―ドジャース16日、米ミズーリ州セントルイス=2024-11-15【甲子園】青森山田・原田純希、低反発バットでどデカい一発 バックスクリーン右へ高校通算29号
【甲子園】青森山田・原田純希、低反発バットでどデカい一発バックスクリーン右へ高校通算29号2024年8月17日 6時0分スポーツ報知◆第106回全国高校野球選手権大会第10日▽3回戦青森山田5―0石橋2024-11-15【甲子園】2回戦敗退の掛川西が帰郷…新主将の鈴木脩平中心に来春センバツ目指して始動
【甲子園】2回戦敗退の掛川西が帰郷…新主将の鈴木脩平中心に来春センバツ目指して始動2024年8月17日 10時4分スポーツ報知26年ぶりに出場した夏の甲子園で、60年ぶりの勝利を挙げた掛川西ナインが12024-11-15国民民主党・玉木雄一郎代表、生出演で政策論に終始…TOKYO MX「堀潤 Live Junction」
国民民主党・玉木雄一郎代表、生出演で政策論に終始…TOKYOMX「堀潤LiveJunction」2024年11月13日 19時8分スポーツ報知国民民主党の玉木雄一郎代表55)が13日、TOKYOMX「2024-11-15大谷翔平、元巨人・マイコラスから11球粘るも…第1打席は空振り三振 “デコピン・スパイク”使用
大谷翔平、元巨人・マイコラスから11球粘るも…第1打席は空振り三振“デコピン・スパイク”使用2024年8月17日 9時23分スポーツ報知◆米大リーグカージナルス―ドジャース16日、米ミズーリ州セントル2024-11-15
最新评论